お笑い芸人以外は笑いを語るな素人のくせに
「お笑い芸人以外は笑いを語るな素人のくせに」的な事を芸人はよくいう。
品川ヒロシや松本人志なんかは、自分の作った映画の批評すら許さない。
全てのエンターテイメントというか、どんな職種だって、客からの評価・批評を受けるものだけれど、芸人はこれを受け入れない。
というか、「おもしろい」以外の評価・批評はするなということだ。
問題は、なぜお笑い業界にこの意識ができたかっていうことだろう。
これは、お笑いという領域に関しては、人格とスキルが不可分だからではないかと思う。
例えば料理人が作った料理をまずいと言われた時に、別に料理人の人格そのものを否定しているわけではない。料理人は、自分の腕を磨いてより美味しい料理を作ることを目指せる。
お笑い芸人は、基本的に、しゃべった言葉が瞬間に笑いとして消費されるため、作品として残すことはできないし、しゃべる内容と誰がしゃべるかによって結果が大きく異る。自分が好きな人、おもしろいと思う人が言う言葉は、面白く感じてしまうものだ。笑わせることで、他人から評価され、人格が肯定される。
そして「面白い」という感覚は非常に繊細で移ろいやすく、正解がない。こればかりは先天的なセンスが求められる。
これまでの人生で積み上げた自分が面白いという感覚を武器に戦うしか無い。しかも、笑いというのは現場においてのマウント的な行為とも言える。笑わした奴が偉くて順位が上になる。自分の人生を武器に殴り合いをしてるわけだ。
何が厄介かというと、お笑いの努力は野球の素振りのようにいかないとこだ。練習したから面白くなるわけではない。
漫才も練習しすぎ感がでてしまうとキングコングのように笑えなくなる。
つまらない事をいったり、すべってしまった時、観客が笑わない時、それは自分のスキルの否定よりも、アイデンティティの否定に近いのだろう。とても怖くて怖くて怖い。つまらないと言われても努力のベクトルに転換しにくいものだからつまらないと言うなという発想になる。客が悪いと。素人に何がわかるんだと。
そしてなにより単純な話、「俺はこんなにお笑いでの殴り合いで強い。お前らよりも上の位置にいるのに喧嘩の弱いのび太(客)が文句を言うな」というジャイアン的なマインドが根底にあるのだろう。